私の1型糖尿病生活は、期待と不安が入り混じる中学校生活のスタートと同時でした。
中学入学前に、私の両親は私の病気のことを中学校へ出向いてお話をしてくれていました。
私が通う中学校は理解があって、例えばお泊りのイベントで「私は連れていけません」と言われることはなかったし、部活も私の意思を尊重して選択させてくれたし、事あるごとに親が呼び出されるということもありませんでした。
両親は学校に私の病気がどういうものであるかや、給食の前に注射が必要ということを伝えてくれていたんだと思います。
学校側は私の給食当番を免除、給食の前に注射を打つ場所に保健室を利用できるようにと対応をしてくれました。
クラスで私の病気がどのように伝えられて、給食当番免除とみんなが把握していたのかは覚えていません。
でも、病気のことや給食当番の免除について直接私に何か言ってくる子はいなかったし、仲が良い友だちは毎日保健室へ行く私に「付いていく~」と言ってわいわい保健室に通っていました。
部活は主治医からはどんな部活をやっても良いと言われていました。
運動部だったら、部活する前におにぎりを食べるなど捕食をしたりとか、低血糖にならないように対策をしないといけないけれど、やってはだめというものはないよと。
バスケットボール部の顧問と私の父は気が合ったようで、病気になる前は中学生になったらバスケットボール部に入るつもりでいたので、私がバスケットボール部に入部したらぜひコーチしに来てくださいと言われたそう。
結局1型糖尿病をかかえて運動部に入るのはなんだかいろいろ大変そうだなと思ってしまって、バスケットボール部へは入部せず、バスケ部顧問の先生には残念がられました。
私が入部したのは吹奏楽部。
もともと音楽が大好きだったし、母親が学生のときにクラリネットをやっていたことや憧れの先輩が吹奏楽部でフルートをやっていたこともきっかけのひとつ。
期間限定で編成される陸上部に所属したり、運動も多少はしていたけれど、学校で低血糖で倒れるみたいなこともなく、無事に楽しく中学校生活を終えました。
今振り返っても病気だからが理由で何かを制限されたり、嫌な思いをしたという思い出はほとんど浮かびません。
中学校卒業式の前日、保健室に通う最後の日、いつも通り保健室へ行くと、机に保健の先生からのお手紙が置いてありました。
「3年間よく頑張ったね」と書かれたその手紙に、私は驚かされました。
毎日たった5分、いや5分にも満たない時間しか会わない先生でした。でも私の頑張りを見守って、褒めてくれたことが嬉しかったです。
私にとってはみんなが当たり前にしていることを当たり前にする日常でした。
でも、きっと周りの大人たちは多少なりとも気にかけてくれていたんだと思います。
私はいつでも人や環境に恵まれていたと思うし、本当にこれは幸せなことだったんだなと!
自分の運のめぐり合わせには感謝したいですね。
大人になってから、1型糖尿病の子どもに対する学校の対応はさまざまなんだということを知りました。
小学生だと給食前に注射を打つために毎日母親が学校へ行かないといけなかったり、幼稚園だと入園することを断られてしまったりすることもあるとか。
学校側が心配することももちろんわかります。
食事の前の薬はそのときの体調で量を調整、そして投与の方法は注射、それをできるのは本人もしくは医療関係者か家族のみ、低血糖で突然意識を失うかもしれないのでその場合は捕食を。
1型糖尿病のことを良く知らない人たちがそんなことを聞かされたら、ビビってしまうのは当たり前ですよね。
それらを解決するために病気のことをよく知ってもらうことは大事なことです。でもそれは1型糖尿病に限ったことではありません。
教育関係者が、すべての子どもたちがそれぞれかかえている病気を理解し、どのような対応が正しいのかを把握することは現実的には難しいし、すべてを求めたときの先生方の負担は計り知れません。
子どもが生活していくうえで大人たちの助けは必ず必要です。
家族以外の人たちと生活するなかで、そこに関わる大人たちからの助けを借りるためには、理解を得るための地道な努力が必要なんだと思います。
私が他の生徒と同じように中学校生活を送ることができたことは、その後1型糖尿病の子が入学することへの壁が多少なりとも低くはなるだろうと思っています。
ほんとうに小さな1歩ですが、そうやって次へ繋ぐことを考えていけたら良いですね。