まずは簡単に自己紹介を!
32年分なので少し長くなりますが笑
興味があればぜひのぞいていってください。
・1990年アメリカで産声をあげる。
父の仕事の関係で産まれはアメリカ!ですが、見た目も中身も生粋の日本人。
残念ながら今は英語も話せません。。。
・5歳、日本に帰国。
帰国後は1年間キリスト教私立幼稚園に通います。
祖母が我が家の近所を散歩して、良いところあったよ!学費出してあげるからここにすれば良い!って決めたそうで、アメリカ帰りだからキリスト教というわけではありません。
ちなみにそこは月額がまぁまぁ高かったそう。確かに今思えば周りも上品な家庭が多かった気がする。
・小学校へ入学。
お勉強も運動もそれなりにできて、学級委員とかやっちゃう、まぁまぁ優等生でした。たぶんね。
放課後は友だちとそこらへん走り回って遊んでた一方で、本が好きで近所の図書館でお休みの日1日過ごすようなことも。
風邪で学校を休むことはめったになかったし、インフルエンザも「えっ、もう治ったの?!」と驚かれるような元気な子でした。
・12歳、小学6年生で1型糖尿病を発症。
休憩時間も外で遊ばず、教室で本を読むことが増えて、家でもごろごろ横になってる時間が多くなったと記憶してます。
そしてたくさん食べるのに体重は減るばかり。
歩く元気もなくなって、近所の総合病院に駆け込み、そのまま入院しました。
もともと痩せ型ではありましたが、この頃の写真の私はガリガリでげっそりしていました。ほんと骸骨のような顔!
3ヶ月ほど入院生活が続きました。
・中学校入学。
両親が私の病気のことは入学前にお話しに行ってくれて、先生たちの理解もあって、何の差別なく他の子と同じように学校生活を送りました。
ただひとつだけ違ったのは、給食の前はインスリン注射をするために毎日保健室に通ったこと。
給食係は免除してもらっていました。
・高校入学。
多分進学校と思われる私立高校に入学。家から電車で1時間ほどの市外の学校に通っていました。
初めての恋人ができたのも高校生のとき。
医師の息子で、私が持っているインスリン注射を見てすぐに私の病気を理解してくれたので、心を許してしまったのかもです。
このときの彼とは大学入学ぐらいでお別れし、私の病気を治してあげると言ってくれていた彼が今どこで何をしているかは知りません。
・17歳、高校2年生でインスリンポンプをはじめる。
高校2年生にインスリンポンプを使いはじめます。夏休みを利用して1週間ほど入院して導入しました。
ポンプの使い方のレクチャーは、20代後半ぐらいの女性の方といっしょに受けました。
就職でも差別されたり大変だったとお話しされていたのをよく覚えています。
・18歳、高校3年生、受験のストレス?で繰り返す入院。
受験生の頃はストレスが原因なのか血糖コントロールがうまくいかず、救急車で運ばれたことも。。。入退院を繰り返していました。
後々気付くことですが、私にとってストレスは血糖値にかなり影響するようです。
・大学入学。
病気のことも心配されて県外進学は許可がおりず、実家から通える大学へ入学。
サークルの合宿も行ったし、スノボとかキャンプとか旅行とかも行ったし、オールで遊ぶこともあったし、バイトもしたし、大学生活楽しみました!
・就職活動。
最初は金融関係を考えていたけれど、インターンシップへ行って違うかも。。。と考えなおしました。
そしてパッと閃いたのが医療関係。
医療業界で働く自分がしっくりきて、MRや医療系企業の事務希望で就職活動開始!
地元では名の知れた医療商社の事務として内定をもらいました。
この就職はインスリンポンプを使っていたことがきっかけだったりします。
・社会人になる。
2回転職して、今は3つ目の職場。
医療商社事務→IT企業事務→病院で医師事務作業補助者という感じ。
いろいろやってみたいと思ってIT業界も経験してみたけれど、やっぱり医療業界で働きたいと出戻りました。
・25歳、社会人4年目に1人暮らしをはじめる。
2つ下の妹が社会人になり、1人暮らしを開始。
妹が良くて私はダメは不公平だからと私にも1人暮らしの許可がおりました。
念願の1人暮らしにワクワク!
・就職を機に転院。現在のクリニックを出会う。
就職をきっかけにかかりつけを総合病院から土曜日も診察しているクリニックへかえました。
今私が病気を抱えながらも楽しく過ごすことができているのは、このクリニックに出会えたからと言っても過言ではないと思います。
ここには書ききれない出来事はまた別記事で書いていこうと思いますが、以上ざっと私の自己紹介をさせていただきました。
とにかく!私は幸い周りの人々に恵まれてきました。
1型糖尿病だから経験した嫌な出来事が全くなかったわけではないけれど、1型糖尿病だったから出会えたこともあります。
その出会いのきっかけの多くは母が常にアンテナを張って、私が1型糖尿病を抱えながらでもより良い生活を送れるように働きかけてくれたからだと思います。ほんとに感謝。
それらのお話はまたこれから書いていきたいと思います。
ここまで読んでいただきありがとうございました!